視覚言語から音声言語へ

今日の日経新聞朝刊(日曜日だから朝刊しかないのだけど)文化ページに、東京芸大の布施英利(ふせひでと)さんが「キーボードが消える日」というエッセイを書いていた。30年ほど前に『電脳版 文章読本』という本のなかで、これからは文章は書くのではなくキーボードを打つことで文章を作っていくようになり、それに伴って思考方法も変わっていくだろうという予測をだしたということだった。
そして今度は、Apple Watchに話しかけるとそれを文章にしてくれるアプリが登場したこと、日経新聞に出した当のエッセイもキーボードを打ったのもではなくAIボイスレコーダー(Plaud Notepin)に原稿の内容を読み上げ、そのあと文字になった文章に手を入れたものだということだった。

僕自身のことでは、目で本を読むのがだんだんしんどくなってきて、ここ数年オーディオブックをたいへん重宝している。『戦争と平和』はなんどか挫折したのだけど、オーディオブックのおかげで最後までたどり着くことができた(どのくらいの理解度だったかは別にして)。
書かれた文字を追いながらの読書体験からオーディオブックで文字(文章)を聴きながらの読書体験が、自分の中では主流になりつつある。

ホメロスの『Odyssey』は、もともとは口承の物語だったし、日本の古典にもそういうものがたくさんある。作品の制作の過程でも変化が起きてくるかもしれない。

時代が変わる時

ドイツで徴兵制を復活させるという議論がでていると聞いた。ロシアのウクライナ進行が続く中、ヨーロッパのリーダーの一国であるドイツの人たちの考え方が変わってきているのだろうか。「平和ボケ」していると日本人自身が言っているわれわれの国で、徴兵制の議論が出てくる日が来るのだろうか。一部の政治家たちは、口にしなかったとしても徴兵制の復活を期待しているかもしれない。

三菱重工の株価がこの2年間で三倍くらいに跳ね上がっていって時価総額は12兆円に近づこうとしている。船で大損を出し、飛行機は飛ばず、原子力でも苦戦、いちじはもうダメになるかと思っていたけど、世界の情勢が大きく変わっていく中、「軍需産業の雄」としての三菱重工への期待が急速に高まってきた。(ぼくにとっては三菱重工は永遠に「ビーバーエアコン」なんだけどね)

トランプはイランのトップに関して、「今のところ、彼を殺害するつもりはない」とSNSに書いた。アメリカのCIAはこれまでも他国の政治に影響を与え(日本政治も含めて)、ときには暗殺行為やクーデターまで行ってきたということだから、アメリカの権力構造の中心にいる人たちの間では、気に入らない他国のリーダーを殺害するというような言葉も使われたことはあるのだろうけど、これほどあからさまに世界中に向かって殺害(Kill)というような言葉を口にするアメリカ大統領は初めてだろう。そんな人間をリーダーに選んでいるアメリカ人の「マッチョさ」についてはどう考えればいいのだろう。

先週、シリコンバレーから来た若手起業家たち数名のプレゼンテーションを聴く機会があった。その中の一人は、原子力発電分野でのスタートアップ企業の創業者だった。核エネルギーの事業化は日本ではなかなか前に進まない、進めないテーマだけど、AIやデータセンターをこれからどんどん作っていくには電力供給がカギになるので、アメリカでは原発の話が盛んになっている。

日本で徴兵制が議論される日、核兵器を持つべきだという議論が表立って始まる日。いまはそんな日がくるなんて想像もできないけども(想像もしたくないけども)、いつかそんな日がくるような気がする。歴史は繰り返す。人間はやっぱり同じ間違いをなんどもなんども繰り返すように思う。それが人間の歴史を振り返ったときに見えてくるパターン。

毎日過ごしずつ、クルマのなかで「旧約聖書」をオーディオブックで「聴読」している。2000年前のイスラエルの人たちのことを聴いていると、そのイメージがいまのイスラエルにだぶってしまう。いや、いまのイスラエルがガザで、イランで行っていることを見ていると、むかしの荒々しい行為に重なってしまう。むき出しになった、力と力がぶつかりあう世界。

6月にはいって

今月に入って初めての「投稿」。自分自身のための備忘録として。

いつの放送だったか、調べればわかることなんだけど、NHKのEテレ「こころの時代」で拝見した訪問診療医の尾崎容子さんが書かれた『それでも病院で死にますか』(副題は、「人生の最期、住み慣れた場所で旅立つ幸せ」)という本がいい。病院は病気を治すところで、もう治すことができない状況になったら自宅に帰って弱った身体をたいせつにしながら、「死を前にした濃密な時間を大事にすべき」というメッセージ。

6月4日に、東京會舘で年に一度の「オデッセイ・デー」。MOSとAdobeの世界学生大会に派遣する日本代表の発表会のあとには、この1年お世話になったお取引先をお招きしての食事会。それぞれのセッションの冒頭あいさつをするのに、今回は時間をかけてあいさつの原稿を用意した。

その一週間後の6月11日。SATOインターナショナルグループが定期的に行っているオンライン講演会で1時間ほどお話をさせてもらった。「いまさらワード、エクセルですか?!」というちょっとユーモラスなタイトルで。こちらもしっかり原稿とスライドを用意、2名の社員にサポートしてもらいながら当社の会議室に備えたPC数台を使って実施。
8月には、オデッセイとコン検の共催という形式で、今回用意した原稿をすこし手直ししてオンラインで講演をすることにした。

気晴らしには日ハムの試合をテレビで観戦。新庄監督4年目。今年はパリーグ優勝を期待している。

各所で値段が上がっている

公的な発表のインフレ率は2%前後みたいな数字が出ているけども、到底そんな低いものじゃないという気がする。コンビニのおにぎりだってこの1年の間にいくら値が上がったと思っているのだ。会社がはいっているビルにある中華のお弁当をこの前久しぶりに買ってみたら、1000円以下で買えてみそ汁の素がついてきていたものが、値段はあがり中身は相当レベルダウンしていて驚いた。きっとお店もたいへんなんだろうと思う。

5月22日の日経新聞(「商品」ページ)におもしろい記事があった。「自動車教習、10年で15%高」という記事。『価格は語る』というシリーズものかと思う。
・指導員の高齢化で引退が多くなっていて指導員の獲得のために人件費が上がっている
・人手不足で教習生の受け入れを絞っていて、しわ寄せはトラックドライバー(こちらも不足)など職業運転手の育成が遅れがちになっている
・マンツーマン指導が労働生産性を低く固定しているので、場内での教習をデジタル化しようとする動きがある。指導員不足の解決策としてAIの活用が模索されている。

この前、超長期(20年、30年)の国債の買い手が不足して日銀が慌てふためているという記事があった。これまで長期の資金繰りで大きな問題がなかった日本も、これからどうなるのだろうか。手に負えないほどの円安になり、これまで経験したこともないようなインフレになったとき、この国の信用や経済的安定はいっきに落ちていくのだろうか。

日ハムの快進撃、続け!

日ハムの快進撃が続いている。この3年ほど、エスコンフィールドができてから、ホームでの開幕試合を観戦している(札幌の先輩経営者のおかげで)。日ハムのファンでもあり、エスコンのファンでもある。ダブルでファンになっている。
日ハムの新庄監督のコミュニケーション能力はすごいし、若い選手たちの成長が著しく応援する側にはこころが躍るチームになっている。
パリーグ単独首位に立った。この快進撃、いつまでも続いてほしい。

「巨額の政府債務と利上げ」日経新聞2025年4月18日記事より

日経新聞に興味深い記事があった。日銀出身で現在みずほリサーチ&テクノロジーに在籍する門間一夫氏が書いた記事。

マクロ経済学の教科書では、「利上げは景気を冷やし、インフレを抑える方向に作用するということになっているけれども、ほんとうにそうなるだろうか?」という問題提起がされている。

無借金経営の企業が増え、家計の金融資産も増えているいま、利上げの効果は昔とは違って、景気刺激的に働く可能性があるのではないかというもの。IMFが2024年に米国経済について指摘したことがあるようで(そのレポートを読んでみたい)、米国では2022年から23年にかけてほぼ0%から5%超までの利上げを行ったけども経済は減速しなかった、その一因は政府の利払いにあったのではないかということらしい。

米国政府の債務はGDPの100%近くに達していて、日本はさらに高い150%を超えている。
中身が給付金であれ利払いであれ、政府から民間にお金が流れればその分だけ人々の所得は増え、自動的な財政拡張効果によって景気や物価を刺激する面がある、ということだ。
金融政策の波及経路には、為替や株価などもあるので、これまでは全体として利上げは物価抑制効果を考えられてきたが、政府債務残高が巨額になった今、政府の利払い増による総需要押し上げ効果は、昔よりもずっと大きくなっているだろう。

時代は変わってきた。学校で学んだ経済学はそのままではもう通用しないの時代になっている気がする。

生活激変!

先週土曜日(4月19日)、3カ月ドッグ・スクールに預けていたアンナが家に帰ってきた。1月から4月までの海外出張、国内出張は、先週広島であった経済同友会の全国大会をもってしばらくお休み。7月末からのアメリカ出張までの間、3カ月ほどはしばらく大きな移動はない生活に入る。

この間はアンナ中心の生活になりそう。英語でいうと、Anna driven というか、Annna centered な生活というところ。

家から数分のドライブの距離にある市のドッグ・ランになんどか連れて行った。あさ行くとほかの犬がいない。いっしょに駆け回ってくれる遊び相手がいないものだから、歩き回るだけで退屈している。夕方行ったときには、何頭かいる洋犬のなかにアンナといっしょに走ってくれる相手がいて、彼らは飛ぶように走り出し、普段は甘えん坊のアンナもさすがもともとは猟犬である甲斐犬らしい動きになる。ドッグランの中を駆け巡る犬たちを見ているとこちらも幸せな気持ちになってくる。

ドッグスクールに預けていた今年2月でアンナも1歳になり、スクール前と比べるとすこしお姉さんになったような感じもあるけど、独り家に残されることにはまだ慣れていないので当面いっしょにいる時間を確保しないといけない。ということで、仕事と育児ならぬ育犬の両立が日々の課題になり、生活は激変となりそう。

JTC

JTCと聞いて何の略かわかっている人って、多いのだろうか?
初めてこの単語を聴いたのは数年前、以前日本に駐在していた米国人ジャーナリストが来日し久しぶりに会った時の会話の中で聴いたのだけど、今日ある40代半ばの出版社に勤める方から聞いた。そういえば、最近日経新聞でもこの単語を記事で使っているなあ。
Japan(ese) Traditional Company。むかしJapan Inc.というコトバもあったけど、いまはJTCかな。
変われない、変わる気もないのがJTC。

引き締めていく。

今年は5月に初めてとなる商品の値上げを予定している。これまで事業をはじめて値上げをしたことはなかったのだけど、どうしても値上げをしないといけない状況になってしまった。ここ数年続く大幅な円安は「輸入企業」である当社にとっては大きなコストアップ要因だった。
これを機に社員の給与を除く経費、費用で削れるところは削っていく。長年続けてきたことにもメスを入れることにしている。身を切る覚悟でやっていく。
長い目で見た時には会社にとっていい結果につながっていくはずだ。

「あなたならどうする?」

いしだあゆみが死んだ。一時結婚していたショーケンももうすでにいない。
自分の少年期、青年期にテレビでみていた歌手や俳優たちがどんどんいなくなっていく。自分自身の父母も亡くなり、こうやって人は死に慣れていくのだと思う。父母も、「順番だから」と口にしていた。彼らもそうやっていつかは自分たちの「順番」がくることを自分自身に納得させようとしていたのだろう。

いしだあゆみの歌に『あなたならどうする』という歌があって、恋人から捨てられた女が、「泣くの?歩くの?死んじゃうの?」と問いかける歌。彼女のもう一つの代表曲『ブルーライトヨコハマ』とならぶ代表曲が『あなたならどうする』。選択肢は歩きながら泣くことかな。

彼女がでたテレビドラマ、それほど見ているわけではないけど、NHKで作った『阿修羅の如く』がよかった。

いしだあゆみは、すてきな歌手で俳優だった。