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遺伝子検査

昨年末、ガンの研究者として日米で活躍されている中村祐輔先生の話をお聞きする機会があり、遺伝子検査に関心を持ちました。お話をお聞きした後、都内で遺伝子検査ができるところを探し、有明のガン研に申し込みをし、昨日有明の病院に初めて行きました。
結論からいうと今回はカウセリングだけで終わり、検査はしないことに。遺伝子検査の信頼性、日本の検査結果のデータ数、得られたデータの解釈、そしてコストなどを考えると当面様子を見ることにします。家族の中に遺伝性のガンを持つ人たちがいて、特定の遺伝子の検査をするためであれば意義があるというお話でした。
担当いただいた先生の話を1時間ほどお聞きしました。カウンセリングの料金は自己負担ですが、1時間で7500円という費用はとても良心的だと思いました。保険でカバーできない分野でも日本の医療費は非常にリーズナブルで、英米等では到底この程度のコストでは収まらないのではないかと想像します。

久しぶりの八ッ場ダム

2018年の大みそか、久しぶりに八ッ場ダムの工事現場を見に行きました。草津温泉に行く前に立ち寄ったのですが、工事がどんどん進んでいることを確認しました。このダム工事をめぐる地元の方たちとの争い、このダムが本当に役に立つのかどうか、それはここでは考えません。最後にこのダムの工事現場に来てから、新しい道路はできているし、道の駅もできているし、あまりの変化に驚きました。工事の進捗具合やこのダムの果たす役割についての解説もときどきおこなっているようなので、また来て話を聞いてみようと思っています。いま見えている谷間の空間はすべて水没していきます。その時にも来てみようと思います。

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八ッ場ダム工事現場

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人の列に驚いた一日。

年末に休みを取っていたこともあり、一足早くオフィスに出ました。会社のある丸の内で今朝ものすごい数の人たちが列をなしていて、驚きました。右翼の街宣車、人の列に指示を出す多数の警官たち。皇居の一般参賀に向かう人たちの列でした。今上天皇の人気の高さをあらためて実感した次第です。
オフィスに向かう前には、銀座の百貨店前も通りましたが、ここでも開店を待ち受ける人たちの列に圧倒されました。福袋をめぐる競争に「参戦」するほどの気力も体力もこちらにはもうありません。

明けましておめでとうございます。

2019年の初日の出を見てきました。
昇っていく太陽の力強さに肚の底からわきあがってくるものを感じました。
2019年がいい年になるように、考えながら、まっすぐに歩いていきたいです。

檮原訪問

母に会いに今年最後の高知帰省。宿毛からの帰り檮原町に一泊して昨晩高知から帰ってきましたが、人口3500人ほどのこの町にはなにか引き付けられるものがあります。ここは昨年7月に初めて訪れて以来、今回で2度目。高知県と愛媛県の県境にある町ですが、歴史、建築物(三嶋神社、隈研吾のいくつかの作品)、自然、あいさつのある地元の人たちなど、とても魅力的な場です。
「竜馬脱藩の道」をひとつの売りにしているのですが、歴史はこの町にとって単なる過去のできごとではなくて、現在、そして未来を切り開いていく精神的な足場になっているのではないかと想像します。隈研吾設計事務所によって昨年できあがった町の図書館で宮本常一の講演集を1時間ほど読んだのですが、とても楽しい時間でした。
一泊したあと(宿はこれまた隈研吾事務所による、「雲の上のホテル」アネックス。昨年は「雲の上のホテル」に泊まりましたが、ぼくはこのアネックスの方がこじんまりとしていて気に入りました)、四国カルストを見に天狗高原まで。「嵐が丘」のような風景のなかをすこし歩きました。昼すぎには飛行機の時間に間に合わせるために、クルマで2時間半ほどの高知空港に向かいましたが、ほんとうはあと1日か2日ほど、このあたりの自然の中をゆっくりと歩いたり、写真を撮ったりしかったです。

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三嶋神社で出会ったコーギー。リードなしでもちゃんと飼い主といっしょ。わが家のクウ太郎とは大違い。
そして四国カルスト。あるいは四国の「嵐が丘」?!

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『いにしえの恋歌』(著者:彭丹=ほうたん)

中国生まれ、日本在住の比較文学研究者による漢詩と和歌を題材にしたちょっとした比較文化論。
和歌は漢詩を土台にして生まれたもので、相通ずるものだ。だが、和歌と漢詩は異なる個性を持つ。恋歌が良い例だ。和歌はもっぱら恋を詠じ、視点は閨中の刹那にあり、優美なるもののあはれを志向するのに対して、漢詩は恋を詠うことにははばかりがあり、詩人の視点は広大な宇宙にあった。なぜ和歌と漢詩は異なる恋歌の世界を持つのか。
ひとつは詩歌の担い手の違い、詩人の視野の違い、国がおかれた状況の違い。
漢にあこがれながらも、漢を排除しようとする和。漢に対応しながらも、漢をどんどん取り入れる。和漢の峡間でもがいた日本人が見つけ出した方法は、和漢の境を紛らわせること。

10月に久しぶりに中国に行く機会があったが、あらためて中国の大きさ、人の多さを実感。「大陸的」という言葉を思い出す機会になった。それに対して、日本は繊細、優美、だけども箱庭的。

漢詩と和歌の違いは日中の違いに通じる。

『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタビュー』(河出書房新社)

マルセル・デュシャンに、かれに関する著作がある雑誌「ニューヨーカー」の記者だったカルヴィン・トムキンズがインタビューした記録。デュシャンのことはたいして知っているわけではなかったけど、ちょっと理解しがたい現代アーティスト(現代アートの父?)と思っていたので、このインタビューを読んでちょっと印象が変わった。
一時チェスに熱中していたこと、生活は簡素で、カネに縛られること、伝統に縛られることから自由であることを心掛けていたこと。「こうあるべきだ」ということからは自由であったこと(自由であろうとしていたこと)など、彼の作品を理解するしないの前に、ぼくにとって最適なマルセル・デュシャン入門の本となった。このあとも、デュシャンのことを調べてみようと思う。
この本は装丁もとてもセンスのいい仕上がりになっている。表紙のデュシャンの写真も素晴らしいと思う。

Jane Fonda

図書館から借りてきたHarvard Business Review (March-April 2018)に女優ジェーン・フォンダとのインタビュー記事が出ていて、やっぱりいいこと言うなと感心。(前から彼女のファン) 苦労しないと人間成長しないし、強くなれない。

"God comes to us through our scars and wounds, not our awards and our acclamations."

"Resillient people can turn their wounds into swords and ploughshares (鋤の刃). They can become the most powerful warriors for good."

『田中角栄』(新川敏光著)

ミネルヴァ書房が出している「ミネルヴァ日本評伝選」の一冊。
田中角栄の人気は最近また高まっているという意見もあるけど、どうなんだろうか?田中角栄を懐かしく思うのは60代よりも上の人たちが多いのでは?もうすぐ60に手が届くぼくもそのひとりかもしれないけど。
この本で印象に残った話は、2、3あるのだけど、田中失脚のきっかけになった文藝春秋の記事を書いた立花隆から、田中に好意的な意見が聞かれるようになったという話がひとつ。(年をとると、立花隆も丸くなったということか?)
小学校しかでていない田中のカネを受け取ったのは、彼を軽蔑していたであろうエリート連中で、一番彼をカネづるとして利用したのは、佐藤栄作(彼の派閥)だったのではないかという話。あとに続く、竹下登も、金丸信も、田中ほどのスケールと政策を作り出す力はなかったこと。(それを言えば、そのあとに続くほとんどの政治家たちがそうだろう)

あとがきに著者が書いている以下のような文章が一番印象に残った。
 
「田中角栄というと、私がすぐ思い出すのは、仕立てのいいスーツに身を包み、下駄履きで自宅の庭に佇む姿である。(中略)その写真は、後から考えると、戦後日本を象徴するものであった。戦後日本人は、和魂洋才どころか、和魂を捨ててがむしゃらに西欧的近代化のやり直しを図った。それが曲りなりにも成功し、日本は経済大国になった。仕立てのいいスーツを着るまでになったのである。しかしいかに西欧と肩を並べたと喜んでも、出自は隠せない。日本人とは何者なのか。足元を見るとわかる。下駄履きなのである。少年の私は、それを隠したかった。しかし角栄は、隠さなかった。だから私は、恥ずかしかった。そしてそのことに思い当たった時、恥ずかしいと思った自分が恥ずかしくなった。」

ぼくも著者と同じ恥ずかしさを共有する。日本のエリートといわれる人たちの多くも、実は下駄履きではないだろうか。

NHK Eテレがおもしろい。

「みつかるEテレ!」のミッツ・カール君のイラストがとてもセンスがいいと思う、NHKのEテレがいい番組をやっている。今週末、録画していた番組をまとめてみたんだけど、どれもすばらしい内容だった。感心したのは以下の4番組。
 -「カキと森と長靴と」

 -「トムとジェリーのくるみ割り人形」

 -「写真は小さな声である ユージンスミスの水俣」

 -「Switch インタビュー 服部文祥と井浦新」

「カキと森と長靴と」を見て気仙沼に行ってみたくなったあと、「ユージンスミス」を見ると水俣に行ったみたくなった。
トムとジェリーも相変わらずのドタバタなんだけど、くるみ割り人形ファンとしては、とても楽しかった。
服部文祥さんには、10年ほど前だろうか、「オデッセイマガジン」にでていただいたことがあり、ずっと彼の活動には関心を持っている。顔つきは厳しくなり(ボクシングの村田を連想してしまった)、彼の思想も深まっていくように思う。

50歳からの情熱

NHKのラジオで、作家宮本輝が紹介していた言葉。自分が若いころ、30代のころ、年上の人から聞いた言葉だとか。「50歳以上の人間の情熱しか信じない」と。ぼくも50を過ぎ、あと少しすると60の大台が近いのですが、若いころの情熱は身体からあふれ出てくるエネルギーに助けられながら、自然に出てくるもののようなところがありますが、身体が弱ってきたときにもなお持ち続けることができる情熱は本物なのかなと思いました。
今年もあとわずかになりました。2019年になにをやるのか、まだまだ気持ちを強く持っていきたいです。

元徴用工への賠償を巡る判決

10月31日。今年も残り2ヶ月となった。時間が経つのは早い。
今日の朝刊に、韓国で元徴用工への賠償を巡って韓国の最高裁が、日本企業に支払いの命令判決。日韓関係がますます悪化して行くのが目に見えてくる。とても残念なことだ。
今年の春、ソウルに行った時、韓国の知人から韓国の人たちが、非常に感情的になることがあること、裁判所は政治に大きな影響を与えることが多いことなどを聞かされていた。
今朝の記事を読んでいて彼との会話を思い出した。
一方、社会面には東京電力の経営陣の業務上過失致死罪をめぐる強制裁判に関する記事。この中で、検察官役の指定弁護士が求めていた現場検証を裁判官が退けたことについて、「現場を見ないで歴史的事件の判決を書こうとしている。現場に行けば五感でわかるものがあるのに、とんでもない」(河合弘之弁護士)というコメント。
しばしば思うことだけど、日本の裁判官は独立した存在ではなく、政治に支配されがちだ。いや、政治に対しての遠慮や気配りが非常に目立つ。それに対して韓国の裁判官は、政治家にとって代わって政治をしようとしているかのような印象を受ける。

中国から帰ってきた翌日に「オデッセイユニバーシティ」

12日から18日まで、YPOのChina Business Summitに参加するために中国の西安に行きました。西安は初めて。YPOのスピーカーの一人、中国の大手携帯電話メーカー、シャオミーのCFOの話は参考になりました。観光のつもりではなかったのですが、せっかく西安まで来たので、うわさの「兵馬俑」は見学、その規模に圧倒されました。中国人にとっても一番の観光スポットだと聞いています。帰国の前日は上海に一泊し、YPOの友人に夕食に招いてもらい、中国のことをいろいろと教えてもらいました。
18日の夕方に帰国、19日午後には丸ビルのカンファランスホール(ここでイベントをやるのは10年ぶりくらい!)で統計をメインテーマとした「オデッセイユニバーシティ」(第16回目)。日ごろお世話になっている竹村先生(滋賀大学)、岩崎先生(横浜市立大学)をはじめ、大阪ガスから滋賀大学教授に転向された日本で一番有名な企業内データサイエンティスト、河本さんにも講演いただき、参加いただいた多数のみなさまにも感謝です。


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さすが秦の始皇帝!

西安の大気汚染

空港に向かうクルマの中から。大気汚染には少々閉口。

西安歴史博物館

久しぶりの中国の印象。「人、人、人」、そしてすべてのスケールがでかい。

ノーベル賞受賞者の言葉から。

昨日ノーベル医学生理学賞の受賞が発表になった本庶先生の発言には、われわれビジネスマンにも参考になる言葉がありました。

「生命科学はどういうデザインになっているかを、まだ私たちは十分理解していない。AIやロケットはデザインがあり、目標に向かってプロジェクトが組めるが、生命科学はデザインを組むこと自体が難しい。応用だけをやると大きな問題が生じると思う」
「あまり応用ではなく、なるべくたくさんばらまくべきだ。1億円を1人でなく、せめて10人くらいにやって可能性を追求した方が、ライフサイエンスは期待をもてる。多くの人にチャンスを与えるべきだ。特に若い人に」
「国内の製薬企業数が多すぎる。国内に良いシーズ(種)があるのに海外にお金を出していて見る目がない」

特に、最後の企業数が多いこと、いいシーズを見る目がないということ。製薬業界だけではないように思います。

ドビュッシー没後100年の記念コンサート

お気に入りのコンサートホール、ミューザ川崎。
ミューザ川崎のアドバイザーも務めるピアニスト、小川典子の全曲ドビュッシーというコンサート。最後にピアニストが話していましたが、30年ほどのキャリアの中でも、お気に入りのドビュッシーだけを弾くコンサートは、これで3度目くらいではないかということでした。彼女のコンサートは、これで2度目。
今日の曲目は、「版画」「映像第一集」「映像第二集」「前奏曲集第一集」「喜びの島」。アンコールで「月の光」。
小川典子による「ドビュッシー ピアノ曲全集」を注文してしまいました(CD6枚で3,669円、一枚あたり600円!)

シッダールタ・ムカジー(チャーリー・ローズのインタビュー番組にて)

『病の皇帝』の著者が出演しているPBSのテレビ番組から。
2010年以降7回の出演。

https://charlierose.com/guests/4110

イランでは犬が忌避されている?

週末、NHKのEテレで録画したイランの現状に関するドキュメンタリーをみました。フランスのチームが作った番組で、"Everthing Forbidden/Anything Possible" というタイトル。(→番組案内はこちら)「すべて禁じられているけど、なんでも可能」。宗教国家として社会的に厳しいルールが多く、女性も一歩外にでるときには肌を露出するような服は禁じられているわけですが、家の中では欧米の女性と全く変わらないような服を着用している様子をカメラは紹介していました。もっとすごいのは、アルコール、麻薬など、見つかるとむち打ち刑、ひどい場合には死刑になるようなことまで、危険を冒してまで行っている若者たちがいること。
犬と生活しているぼくとしては気になったのは、犬をコンパニオンとして飼うことがイランでは忌避されていること。それでも犬を飼っている人たちはたいくさんいるようで、深夜こっそりと犬を外に連れ出す人たちをカメラは紹介していました。
ニューヨークに住むイラン人の知人にこの番組のことをメールすると、イランでは通りや公共の場所で犬を連れているのを取締りの警官に見つかると、(犬が)殺されることもあるということでした。

イランはアメリカとの関係が非常に悪く、経済制裁をずっと受けていますが、長い歴史もあり優秀な人たちが多い国で(ニューヨークの知人もそんな優秀な人たちの一人)、一度行ってみたいところではあります。

『病の皇帝「がん」に挑む 上巻』(シッダールタ・ムカジー著)

かなり前から読み始めていたのですが、途中でほかの本に気が移っていたりして、ようやく今週末に読み終えました。でもまだ上巻だけ。これから下巻にとりかかります。
昨年、父をがんで亡くしたこともあり、がん関連の本をよく読むようになりました。きっとぼくのなかでもすでにがん細胞(悪性新生物?それとも体内エイリアン?!)は分裂を始めているのでしょう。あと30年くらいはおとなしくしていてほしいです。

著者のムカジーは、コロンビアの医学部で研究、教鞭をとるガン研究者で、腫瘍内科医。この『病の皇帝』でピューリッツアー賞を受賞しています。いろいろな雑誌や新聞で彼のインタビュー記事がでていますが、最初に彼のことを知ったのは、以下のフィナンシャルタイムズの記事。
Gene genius Siddhartha Mukherjee on why "doctors shouln't be gods"
その後も、かれの記事はFTでもなんどか読んでいます。がんに関してだけなく、公共医療制度に関しても、非常にコミュニケーション力のある専門家として評価が高まっているように思います。
上巻ではがんとの闘いの歴史をたどっています。臨床実験、データの集積、データの客観的分析、治療と予防。下巻に進むのが楽しみ。

Typhoon Jebi ってなんのこと?!

ロンドンの知人から、「Jebiの被害は大丈夫か?」とメールが来たので、「Jebiってなんのこと?」と思ったら、数日前、関西に大被害をもたらした台風21号のことだった。Jebiっていうのは誰がつけたニックネーム?今年はいったいどうなっているんだろう。水難だけではすまないで、また大地震が北海道を襲うし。2011年以来、この国は自然災害に取りつかれているような気がしてしょうがない。(データに基づいた印象ではないのだけど)
BBCニュース

佐々木閑先生の最新のご著書『ネットカルマ』

 かつて、オデッセイコミュニケーションズで出していた「オデッセイマガジン」にご登場いただいた、花園大学の佐々木閑先生からご本が送られてきました。最新のご著書である『ネットカルマ』(角川新書)。先生とお会いしたのは一回だけですが、その後も何度かメールのやり取りをさせていただき、新しい本を出されるたびに、ご案内いただいています。

 今回の本は表面的に言うと、インターネットを利用するにあたってのモラルということになるのでしょうが、実はネット上であろうと、リアルの世界においてであろうと、ブッダが説いたことはぼくらが間違った方向に進んでいくことを防いでくれるし、心の平和につながっていくのだということを教えてくれる内容になっています。

 ネット上で匿名であるからなにをやってもいいと思っていても、いつかきっとばれますよ、という話には反論もあるかもしれませんが、そう思っておいたほうが身のためだろうし、ましてや、リアルの世界においては、各所に監視カメラが設置されていて、自分の行動は誰かに見られていると思っておいたほうがいい。

 ブッダが言ったことはある意味でシンプルなことなんだけど、それを自覚し、自分をコントロールしていくことは、とても難しい。(だって、われわれみんな、良くも悪くも、物欲、性欲、食欲、名誉欲、権力欲、その他さまざまな欲を持った存在だから)たとえば、ご本の中で紹介されているこんな言葉。

 自分を救えるのは自分自身である。
 他の誰が救ってくれようか。
 自分を正しく制御して初めて、
 人は得難い救済者を
 手に入れるのだ。

 あるいはこんな言葉。

 他者から言葉で非難されたなら、 
 十分に気をつけて、そのことを喜べ。
 同じ修行をしている仲間たちに対する
 鈍感さをなくせ、
 しゃべるときは、立派で場にかなった言葉を語れ。
 世間話に関わるようなことに
 心を向けてはならない。

  
 小中学生のスマホ依存症も顕著になってきている今、スマホを通じたネットとの付き合い方、距離の取り方は、とても大事なテーマになっています。でも、スマホ依存やネット依存(ポルノ、人の悪口、買い物依存などなど)に溺れないようにしないといけないのは、子供だけじゃないからね。われわれ大人も、まったく同じ危険にさらされているわけで。

広中平祐著『学問の発見』(講談社ブルーバックス)

父の一周忌の法要のため、高知に帰省していました。昨年夏、地上でなにが起こっているのかまったく関知していないお天道様はまっさおな夏の空を用意していましたが、今週は台風と晴れたり曇ったり、時には雨という天気を用意していました。でも、無事宿毛と東京の往復ができたことに感謝です。

羽田空港の書店で買った新書の一冊です。講談社のブルーバックスの最新刊でしょうか。でも中身は1980年代前半に、広中博士がフィールド賞を受賞したあと、もっとも先生が乗りに乗っていたころのエッセイ。

いかに広中先生が努力の人であったのか、京大からハーバードに留学されていた10年ほどの間に、金字塔となる研究をされたのか、そのことに大いに感心したのですが、ぼくがそれ以上に感心したのは、この時点でバブル崩壊後の日本企業や社会の停滞とアメリカ企業の復活を予言する指摘があったことです。あまりにも正確な予言と警告であったことに驚きました。

簡単にまとめると、以下のような警告です。

1 日本はアメリカに学ぶことはないという見方に自分は反対である。あと20年足らずで迎える21世紀という超国際化の時代を考えた時、いまここで日本は米国に学んでおかなければ、とんでもない危機に立たされるのではないか、と私は思う(注意:1980年代前半に書かれた文章です!)

2 米国は優秀な人材が工業よりもサービス業に行くため、工業が弱点となっているかもしれないが、現在取り組んでいる「再工業化」が進み工業力が高まると、有能な人材をサービス産業部門に多く抱えていることが、国際関係の上で俄然米国の強みになる。

3 米国は人種問題、女性雇用問題に取り組み、それで苦労しているかもしれないが、人材発掘、効果的な人材活用に成功すれば、21世紀に入った頃には日本は大いに考え直さなければならなくなる。

4 米国企業は長期性がないといわれるが、米国政府は、長期的な、国際的な戦略を立てている。それに対抗するものが日本にあるかというと、私にはそう思えない。

5 このように考えてみると、日本はうかうかとしてはいられないはずだ。戦後30数年経って、日本経済は「米国に追いついた。今からは追い抜く時代で、米国に学ぶものは何もない」などとはいっていられないはずだ。

あまりにも広中先生の警告が的の中心を射た指摘であったのかに驚くばかりです。

そして、このような提案もされていて、これまた現在においても有効な提案となっています。

1 よくいわれることだが、米国は研究人材を輸入する国であるのに対して、日本は研究成果を輸入する国である。

2 人材輸入主義が常識の米国に、日本人は出て行って、米国社会の中で切磋琢磨しながら生活し、日本のいい点を教え、逆に米国の長所を身につけて帰ってくるべきだ。そういう互いに貢献し合う時代が、日本のこれからに訪れるべきだと思う。

3 米国と日本はチーム作りの方法が異なる。米国は、外からいろいろな人材を引っぱってくる上に、それらの人たちは優秀であり、個性が強いから、非常に扱いにくい。そういう人たちを集めてチームをつくると、実際問題として(日本のチームが求めるような)シンクロナイズさせることは不可能だ。

4 人材の能力を生かすためには、シンクロナイズさせるかわりに、ケミカライズ(chemicalize)させることが目標となる。これは異質なものが、お互いに個性をぶつけあうことによって、「化学反応」を起こさせようという考えだ。

5 化学反応の成果を期したチームづくりは、意外なものを真剣につくらねばならないという時期にさしかかっている今日、日本人が米国という国で体験を通して学びとってくるべきことの一つだと考える。

30数年前に指摘されていることが、まったく色あせることなく、いまの日本にもあてはまること、別の言い方をすれば、30数年前から本質的な進歩を日本は遂げていないのではないかということに、愕然とします。

『奇跡の脳』(ジル・ボルト・テイラー著)

脳科学者の著者が脳卒中を経験し、回復の過程で得た洞察を記した本。脳の役割を左脳と右脳と大きくわけ、「いま、ここ」にあることの喜びを感じる右脳と、論理的で(あるいは理屈っぽくって)、あるいはちょっと攻撃的で、過去・現在・未来を把握したがる左脳をどうバランスさせていくのか。
英語の本のタイトルは、とてもいい。My Stroke of Insight. 脳卒中と衝撃、一撃というニュアンスの言葉(stroke)のひっかけ。脳卒中から回復する過程で得た洞察。翻訳者もいろいろと考えてみて、結局、「奇跡の脳」となったのでしょうが、「悟り」とか、「洞察」という言葉をもっと前面に出さなかったのはどうしてでしょうか。
ぼくは左利きで、通説的には、左利きは右脳を刺激するというようなことが言われますが、どうなんでしょうか?

この本を読んでいて思ったこと。AIには右脳、左脳って、あるのでしょうか?AIは所詮左脳しか持ちえないのでしょうか?

カイの三周忌

8月15日はカイ(1999年ー2015年)の三周忌。わが家の永遠の愛犬。
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「戦後思想を考える」(日高六郎著、岩波新書)

1980年前後に各所で発表された文章をまとめたもの。
今年6月に亡くなった日高六郎の本は、これで2冊目。前回は、6月に「戦争のなかで考えたこと」。

どの文章もとても読みやすく、著者がジャーナリスティックなセンスも持っていたことをあらためて認識しました。この本が出たころは、ぼくは大学在学中で、もしかして、この本の中にはいっている文章のひとつやふたつは、最初に発表された雑誌(たとえば朝日ジャーナル)にでた時に、読んでいたかもしれません。

なお、日高六郎については、大学1年の時の、ぼくら一橋大学P9のフランス語教師だった海老坂武先生が、東京新聞に追悼の文章を書いています。

戦争中の「滅私奉公」から、戦後「滅公奉私」の時代に代わり、その傾向はますます強くなるという観察は、30年以上たったいまに続く、著者の的確な予測であったと思います。

日高の本はもうあまり読まれていないのかもしれません。まとまった著作集のようなものは出ていないようですし、アカデミックな観点からの評価には複雑なものがあるように見えます(例:ウィキペディアで紹介されている、1958年に恩師の当時東大文学部社会学科教授尾高邦雄による、以下のような言葉。「…日高君は思いつきと構想力の天才である。それなのに、まだ自分の仕事らしい仕事を発表していない。(中略)思いつきのよさはとかくジャーナリズムから重宝がられる。それだけに、社会学プロパーからやや遠ざかつたところで仕事をしている彼に、わたくしはもう一度社会学に帰れ、と呼びかけたいのだ)

象牙の塔で生きていくには、彼は向いていなかったのかもしれませんが、視点の鋭さや文章のわかりやすさには、とても魅力のある方だと思います。

久しぶりの秋田訪問、秋田犬に愛をこめて!

全国の高等学校で情報教育を行っている先生方の集まり(全国大会)に参加するために秋田訪問。
この1、2年、秋田にはご無沙汰していますが、先輩の須賀さんが国際教養大学で客員教授を行っていた間は毎年12月に、須賀さんの授業に呼んでいただきました。今回で秋田訪問は10回くらいにはなるのでは?!
専門学校、秋田大学生協など、日ごろお世話になっている関係者を訪問。
写真は長年にわたって、試験会場としてたいへんお世話になっている、株式会社アイネックスの鎌田社長と。
(市内中心部にある、エリアなかいちの「秋田犬ステーション」前で。秋田犬は大人気!)

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秋田と言えば、秋田犬。
秋田犬と言えば、この本をぜひお読みください。
Dog Man
アメリカン・ブック&シネマ(ぼくが発行人です)で出した本で一番思い入れがある本です。